マクヴィティ&ジャファケーキの歴史(1)「マクヴィティ下剋上」篇
ジャファケーキは、1927年にマクヴィティ社によって作られました。
会社の公式サイトに載っている沿革にも記されています。
マクヴィティ社の歴史が始まるのは19世紀前半のことです。
今回はこの沿革を参照しながら1927年まで、つまりジャファケーキの誕生前史を見ていきたいと思います。*1
1809年にスコットランドで生まれたロバート・マクヴィティは、パン屋の見習いとなります。
1830年、ロバートの父ウィリアムがスコットランドの首都エディンバラに食料品店を作ります。
ロバートの焼くパンは評判を呼び、店舗も増えて事業も拡がっていったようです。
1844年に結婚したロバートは息子ふたり(ウィリアムとロバート・ジュニア……ヨーロッパの人は親子でも同じ名前を付けることが多いので分かりにくいですね)をヨーロッパに送り出し、パン修行をさせます。
1880年にロバート・マクヴィティは亡くなります。
事業を引き継いだロバート・ジュニア・マクヴィティは好評だったパン製造に大規模な投資を行います。
マクヴィティの会社には1875年にチャールズ・プライス(Charles Price)が加わり、共に事業を拡大させてマクヴィティ&プライス(McVitie & Price)という商標で知られることになります。
彼らの製品はどんどんと人気を増し、この需要の高まりの結果として1888年にはエディンバラ郊外に新しい工場が建設されます。
この年からアレグザンダ・グラント(Alexander Grant)がマクヴィティ社に勤めていますが、4年後の1892年にグラントは「ダイジェスティヴ(Digestive)」ビスケットを考案します。
digestive というのは「消化力のある」、「消化を助ける」という意味ですが、どうやらこのビスケットには重曹が多く使われていたのでこういう名前が付いたそうです。
実際に重曹が使ってあると消化によいのかはよく分かりません (^_^;
ちなみにこのグラント、後にサーの称号を与えられてサー・アレグザンダ・グラントとなっています。
写真にも貫禄が見えますね (^_^)
いずれにしても、このダイジェスティヴ・ビスケットはマクヴィティの代表的なお菓子で、日本でもそれなりに知られていると思います。
特にチョコレートでコーティングされたものは人気が高いですね。
このふたつの商品はまた取りあげないわけにいきません。
何せジャファケーキを表す動物がメガネザルなら、これらふたつにも別々の動物がちゃんと用意されているので (^-^)
ダイジェスティヴ・ビスケットが誕生した翌年の1893年、マクヴィティ&プライスは英国王室から印章を与えられるまでになります。
これは、ヨーク公ジョージ・フレデリック(George Frederick, Duke of York)とテック家のメアリ(Mary of Teck)との結婚式のケーキを作ることを頼まれたときに与えられたものです。*2
このようにして、マクヴィティ&プライス社は19世紀末までには名実ともにイギリスを代表する会社となります。